2009年12月02日
2年生朝拝
今日の朝拝は2年生のKくんが担当してくれました。
讃美歌:109番「きよしこの夜」
聖書:ヨブ記3章1~3節

「1992年1月12日生まれ、もうすぐ18歳(日本の数え方で)。幼いときは実家のソウルを離れて光山(カンサン)で母親の妹に育ててもらった。5歳(韓国の数え方で)のときソウルに戻り、母親が園長をしている幼稚園に通った。
小学校6年のときに父親といったヨーロッパ旅行が、思い出に残っている。かばん1つ、言語もできないで3週間、イタリア・スイス・フランスを旅した。イタリア料理が口に合わなかったとき、父親が必死に韓国料理屋を探してくれたのを覚えている。またイタリアで買ってもらった靴をタクシーに置き忘れてしまい、そのタクシーを見つめる父親の背中を忘れられない。
中学校では2年生まで真面目に勉強していたが、「なぜ勉強するのか」と考えたとき「いい大学にいくため」という答えしかでてこず、勉強しなくなった。

親の紹介で愛農会を知り、愛農高校に来ることを決めた。中学卒業後、日本語の塾のほかに、愛農と比べるために韓国の高校に1年いくことにした。しかし高校は夏でやめ、塾にもあまり行っていなかった。午後に起きて、夜中まで遊び、朝までパソコンなどをしてそれから寝るという日々がつづいた。親に心配をかけて悪かったと思っている。
そのせいで愛農に入学したときは平仮名しかわかっていなかったが、いい先輩といい友達のおかげで日本語を身につけることができた。43期で韓国出身のWさんには、厳しく日本語を教えてくれたことを感謝している。
僕の夢は、日本で歌手になること。
有名になりたいわけではなく、自分の歌で幸せになってくれる人がいるなら、歌手になりたい。先輩のTくんに、『今の自分』と『夢』の間には大きな空間があり、その間にするべきことは自分で見つけないといけない、ときいた。
夢のために今自分がするべきことをやっていきたいと思っている。」
讃美歌:109番「きよしこの夜」
聖書:ヨブ記3章1~3節
「1992年1月12日生まれ、もうすぐ18歳(日本の数え方で)。幼いときは実家のソウルを離れて光山(カンサン)で母親の妹に育ててもらった。5歳(韓国の数え方で)のときソウルに戻り、母親が園長をしている幼稚園に通った。
小学校6年のときに父親といったヨーロッパ旅行が、思い出に残っている。かばん1つ、言語もできないで3週間、イタリア・スイス・フランスを旅した。イタリア料理が口に合わなかったとき、父親が必死に韓国料理屋を探してくれたのを覚えている。またイタリアで買ってもらった靴をタクシーに置き忘れてしまい、そのタクシーを見つめる父親の背中を忘れられない。
中学校では2年生まで真面目に勉強していたが、「なぜ勉強するのか」と考えたとき「いい大学にいくため」という答えしかでてこず、勉強しなくなった。
親の紹介で愛農会を知り、愛農高校に来ることを決めた。中学卒業後、日本語の塾のほかに、愛農と比べるために韓国の高校に1年いくことにした。しかし高校は夏でやめ、塾にもあまり行っていなかった。午後に起きて、夜中まで遊び、朝までパソコンなどをしてそれから寝るという日々がつづいた。親に心配をかけて悪かったと思っている。
そのせいで愛農に入学したときは平仮名しかわかっていなかったが、いい先輩といい友達のおかげで日本語を身につけることができた。43期で韓国出身のWさんには、厳しく日本語を教えてくれたことを感謝している。
僕の夢は、日本で歌手になること。
有名になりたいわけではなく、自分の歌で幸せになってくれる人がいるなら、歌手になりたい。先輩のTくんに、『今の自分』と『夢』の間には大きな空間があり、その間にするべきことは自分で見つけないといけない、ときいた。
夢のために今自分がするべきことをやっていきたいと思っている。」
[矢野]
Posted by 愛農高校 at 08:20│Comments(0)
│45期
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