2009年10月13日
女子寮夕拝
各寮では、毎週日曜の夜に夕拝をしています(平日のミーティング時は讃美歌を歌うのみ)。聖書を読み、寮監・その他愛農の丘に住む人がお話をします。
女子寮では、2週間に1度、地域の教会の牧師先生にきていただいています。
昨日まで連休だったことなどから、今回は火曜日である今日、牧師先生がきてくださいました。
はじめに讃美歌106番「あら野のはてに」を歌い、聖書はマルコによる福音書5章1~20節「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」を読みました。そしてこの聖書箇所に沿ってのお話がありました。
まず、聖書の内容の解説がありました。時代背景・文化が異なる聖書の世界ですが、その記事の意味を現代のわたしたちがどう読み取ったらよいかをわかりやすく、丁寧に話してくださいました。
そしてこの箇所からの大きなメッセージとして
①主イエス・キリストは人を変えることができる
悪霊にとりつかれたその人が正気にもどることなどだれも期待していなかった。しかしキリストが手をさしのべてくだされば正気になれる。もうあの人はどうにもならない、もしくは自分自身がもうどうにもならないと落胆することがあっても、キリストに頼って変えていただくことができる。
②ゲラサ人の地もイエス・キリストに忘れられてはいない
この地で、イエスは歓迎されないことをわかっていたけれど、一人を助けるために湖をわたってきた。そしてその一人に、その地で福音を伝える力を与えてくださった。
の2点をお話しくださいました。そして、どこに望みがあるのかと落胆するとき、湖をこえてゲラサの人を変えにきてくださった神さまに、「わたしのところにきてください」と祈ってください、という言葉でお話をしめくくられました。
そのあとのお祈りでは、ゲラサ人の悪霊をとりのぞきにきてくださった神さま、私たちの心の中にある悲しみ・いらだち・他者を許せない心をとりのぞいてください、わたしたちを互いに愛し合うものとしてください、ということと、寒くなってきた中で女子寮のみなの健康が守られるように、ということをいのってくださいました。
最後に讃美歌2編254番「主は勝ち 主は統べ 主は治めたもう」を歌って終わり、ミーティングに移りました。
ミーティング後、牧師先生に質問がある人やお話をしたい人はミーティングルームに残ってお話しすることができます。今回も何人かが残っていました。
女子寮では、2週間に1度、地域の教会の牧師先生にきていただいています。
昨日まで連休だったことなどから、今回は火曜日である今日、牧師先生がきてくださいました。
はじめに讃美歌106番「あら野のはてに」を歌い、聖書はマルコによる福音書5章1~20節「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」を読みました。そしてこの聖書箇所に沿ってのお話がありました。
まず、聖書の内容の解説がありました。時代背景・文化が異なる聖書の世界ですが、その記事の意味を現代のわたしたちがどう読み取ったらよいかをわかりやすく、丁寧に話してくださいました。
そしてこの箇所からの大きなメッセージとして
①主イエス・キリストは人を変えることができる
悪霊にとりつかれたその人が正気にもどることなどだれも期待していなかった。しかしキリストが手をさしのべてくだされば正気になれる。もうあの人はどうにもならない、もしくは自分自身がもうどうにもならないと落胆することがあっても、キリストに頼って変えていただくことができる。
②ゲラサ人の地もイエス・キリストに忘れられてはいない
この地で、イエスは歓迎されないことをわかっていたけれど、一人を助けるために湖をわたってきた。そしてその一人に、その地で福音を伝える力を与えてくださった。
の2点をお話しくださいました。そして、どこに望みがあるのかと落胆するとき、湖をこえてゲラサの人を変えにきてくださった神さまに、「わたしのところにきてください」と祈ってください、という言葉でお話をしめくくられました。
そのあとのお祈りでは、ゲラサ人の悪霊をとりのぞきにきてくださった神さま、私たちの心の中にある悲しみ・いらだち・他者を許せない心をとりのぞいてください、わたしたちを互いに愛し合うものとしてください、ということと、寒くなってきた中で女子寮のみなの健康が守られるように、ということをいのってくださいました。
最後に讃美歌2編254番「主は勝ち 主は統べ 主は治めたもう」を歌って終わり、ミーティングに移りました。
ミーティング後、牧師先生に質問がある人やお話をしたい人はミーティングルームに残ってお話しすることができます。今回も何人かが残っていました。
[矢野]
Posted by 愛農高校 at 20:00│Comments(0)
│女子寮
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。